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山口県と台湾の関係 台湾総督について

1895年 伊藤博文 下関・春帆楼にて日清講和 条約締結。以後、日本の台湾統治始まる。
日本統治時代1895年~1945年(50年)
内、山口県出身者の在任期間合計20年であった。桂太郎、乃木希典、児玉源太郎、佐久間左馬太、上山満之進の5名が台湾総督として在任した。
日本統治時代の40%を占める。
山口県は古くから台湾と関係性があります
防府市と台湾の関係

楫取道明
楫取素彦の次男。台北の芝山厳学堂で現地住民の教育にあたるが、抗日ゲリラに巻き込まれる。台湾教育の祖、六氏先生の一人。
東台湾臨海道路(陳澄波 作)
防府市江泊出身、第11代台湾総督上山満之進が台湾総督任期終了時に陳澄波に制作を依頼。晩年、防府市に寄贈。三哲文庫(現防府市立防府図書館)に保管される。
東台湾臨海道路は、台湾東海岸(花蓮縣)の風景画。
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毛利邸・防府天満宮
毛利邸の床の一部には台湾ケヤキ、天満宮の拝殿は台湾ヒノキが使用されている。台湾木材は南投縣で多く産出された。
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磯永吉と蓬莱米
台湾統治時代に磯永吉らが品種改良により蓬莱米を誕生させ、台湾の米生産の主流となった。帰国後、防府市に居を構え、山口県農業試験場で山口県専門委員として農業指導を行う(昭和33年7月~昭和37年3月)。昭和38年(1963年)に特別研究報告第16集 蓬莱米談話を発表。
防府市とゆかりのある地域が台湾各所にあります
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